コロナ過における子どもへの影響講演会
子どもの成長に大切なもの。地域として私達大人にできること!
先日、市民会館にて開催されました講演会に行ってきました。
コロナ過で我が子3名の人生も、そして林家としての人生も正直大きく変貌したと感じています。(家族での外食も3年間していません・・・)
我が子は当時、小学校(向日市)・中学校(京都市の私学)・高校(他県の私学)に通っており、夫が最先端でコロナになり3週間の自宅待機も経験しました。私は当時Louis Vuitton京都高島屋店で店内にも消毒が入りご迷惑をおかけしたこと思い出します。
自宅隔離は大成功で誰も感染せずに過ごせたのですが、当時はまだコロナになったことを他人に言うことも難しく、また各学校と保健所のいうこともバラバラで、どうしていいのか困ったことも思い出します。
そんな中、真ん中当時中学3年は「学校に行く意味は」「行事も、クラブもない、授業はオンラインで受けれる」と言い出し、私達大人もどう対応していいのか解りませんでした。
日常を何も疑わずに過ごしていればそんな問いもなかったと思うのですが、良かったかどうかは???ですが、この様な問いを持てたことも、もしかすると大切だったのかもしれません。
私は3人のこども達と夫が無事に通常の生活に戻ったと同時に、気が抜けてしまってその後やる気がおきず心も疲れた記憶があります。
高校3年生の娘は大好きだった合唱祭が高校2,3年と中止となり卒業式の日に「私のJK返せー」と言って卒業しました。今は大学生活を楽しんでいるので嬉しく思っています。
今回の講座で感じたことは、
私達大人の長い人生の中での3年と、まだ数年しか生きていないこども達にとっての3年は大きく違うということ。
またこの3年、文化的トラウマとしてのパンデミックの経験、誰もが傷ついたことに対する、対応もこどもの目線で見つめ続けないといけないということを学びました。
少し学びをシェアしたいと思います。
私の両親の教育方針は、お手伝いをしたから何かご褒美を等は一切NGでした。どんな貴女でも親として必要なことはします。というスタンスで育てられました。だから、駆け引きみたいなことは今も得意ではありません。
当時はお手伝いしたらお小遣いをもらえる友達を羨ましく感じていた時期もありましたが、必要だと言えば両親がきちんと聴き、対応してくれました。
今改めて感じることは両親へのリスペクトです。私は両親には全然及びません・・・まだまだ未熟です
➂の国及び地方公共団体は児童の保護者と共に、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。の一文に今私に与えられている役割含め、真摯に向き合いたいと思いました。全ては未来のこども達の健全育成のために!
福島県でメンタルクリニックなごみをされている蟻塚先生から、沖縄戦を経験した方々が60年経ってPTSDを発病されるという話を聴きました。
現在は沖縄から福島に引っ越し、福島の方々の心に耳を傾けてくださっています。福島県も原発事故で同時に多くの方々が集団的トラウマを経験されています。コロナ過で福島のママ友に「コロナ大変やなぁ・・・」と話した際に「私たちはあの日からずっとコロナだよ」と返され言葉を失ったことを思い出します。同時期に辛い体験をすると、その個人の心の内を皆が整理もできずに閉じ込めてしまう傾向があります。この心の蓋を軽く考えることは危険で、自分の気持ちを一旦吐き出して、自分がどの様に感じていたのかを整理することで、一歩踏み出せるそうです。
これは私は関わる京都発ママ達による福島こども応援プロジェクト「ミンナソラノシタ」でも強く頷く経験をしています。
どんなに辛い幼少期を過ごしたとしても、上記7つの項目が多ければ多いほど豊かな人生を送れるそうです。7つの内3つは家庭内のことですが、4つは地域社会で対応できることだということにも注目したいと思います。
コロナ後は、PTAもこども会、自治会等も行事を短縮したり、これを期に止めたりするところが増えています。役員も高齢化し、私達世代の参画も中々期待できないのが今の現状かと思います。しかし!!!改めて!!!
5.6.7に関しては、一度なくしてしまうと復活は難しい。
また現代にあったやり方に変えていくことは重要だと感じますが、意外と面倒だと思っていることの中に、人としての幸福が隠れているようにも最近思うのです。
日々の生活に忙しく、地域活動には関わりたくないと感じている人もいるかもしれません。無理は良くないと思いますが、仕事と家族以外の場所があるということは本当に豊かなことだと思いますし、顔見知りが居ることも、立ち話できる人がいることも、本当に豊かなことです。お互い様。そう思い合える心を持ち続けたいと思います。
こども達に向けて私達大人ができること。
こどもたちは何か特別なことがして欲しいのではない。
何か決めるときに、それはこどもがして欲しいことなのか?それとも大人がしたいことなのかを問う。安全な生活圏で色々なことをさせてもらえて、多様な人が居ること、こどもが自由に出入りできる場所の確保も大切だと伺いました。向日市には児童館がなく、こどもだけと言わずに多世代が自由に出入りできる場所があったら素敵だと感じています。
毎日のあいさつや地域の伝統行事、日々の小さなアクションを大切に愛を込めて私にできることを行動しながら生きていきたいと思いました。